現代の科学教育研究では,授業前後の概念評価テストの結果に基づき,授業の効果を測定する方法が主流となっている。
仮説実験授業も,初期の授業書開発では,授業前後での評価テストにより伝統的な授業との比較を行って授業結果を検証していた。
その手法は,現在の科学教育研究で行われている研究手法の先駆けとも言えるものだった。
しかし,板倉はその後,授業におけるたのしさの重要性を強調するようになり,授業書開発においても授業前後での評価テストを実施することはほとんどなくなった。
その転換を象徴するのが,仮説実験授業提唱のおよそ10年後の1974年に四国数学教育協議会主催の研究集会で板倉が行った講演である。「楽しい授業への招待」と題されたその講演において板倉は,「わかる授業というスローガンはどうもあやしい」と疑義を唱え,「楽しい」と「わかる」について,
①楽しくて-わかる
②楽しいが-わからない
③楽しくないが-わかる
④楽しくなくて-わからない
の4つの組み合わせのうち「どれがより民主主義的であるか」について,今の教師の常識,ないし良識では「①③②④という順番になる」としながら,「私は,①②④③と順番をつけます」と述べた。
さらに,③のような授業を「悪しき人間改造でもっともいけない」とまで述べている[ref]板倉聖宣「たのしい授業への招待」犬塚清和編『板倉聖宣講演集 科学と教育のために』季節社1979,pp165-168.[/ref]。
私は仮説実験授業に出会って間もない頃,この講演記録を読んで衝撃を受けたのを覚えている。「わかる授業がいいに決まっている」と思っていたからである。
「楽しくないのにわかってしまう」というのは,言い換えれば「無理矢理わからせられてしまう」ということであり,いわば洗脳と言ってもいい。〈教育にはそういう恐ろしい非人間的な側面があるのだ〉ということに気づかされ,目からうろこが落ちる思いだった。
重弘忠晴[ref]仮説実験授業研究会会員,元小学校教諭[/ref]「仮説実験授業50年史稿」によれば,この講演は当時新任間もない中学教師犬塚清和[ref]1942-2019,中学教諭を経てルネサンス高校校長,仮説実験授業研究会事務局[/ref]が1974年7月に発表した「新鮮さをもった荒さを失わないように-〈浮力〉と〈まさつ力と仕事量〉を終えて」[ref]1974.7.18.ガリ版資料,仮説実験授業研究会全国合宿研究会広島大会1974.7.29-31.にて発表,『仮説実験授業研究第3集』仮説社1975,pp.13-16.[/ref]の主張を受けてのことだという[ref]重弘忠晴「仮説実験授業50年史稿(第2部)10」『仮説実験授業研究会ニュース』2017年1・2月号,仮説実験授業研究会,pp.62-63.[/ref]。
1964年に《ばねと力》から分離した単独の授業書《浮力と密度》として発表されたこの授業書(以下初版〈浮力〉とする)は,当時の仮説実験授業研究会のメンバーによるおよそ10年にわたる授業研究による改訂作業を経て,1975年に「一応完備した授業書として,『仮説実験授業研究』第5集 (1975.8)に…くわしい授業記録と共に公表された」[ref]重弘前掲,pp.50-51[/ref]。
この改訂は,問題を増やし,きめをこまかくするなど,「よりわかりやすくするため」の改訂だった。犬塚はこの論文で,改訂版〈浮力と密度〉を1回やったことがあるとしながらも,あえて初版〈浮力〉を使用した結果を報告している。1回だけやったことのある改訂版については「まじめに全部やらなかった」とし,その理由を「あまりにもステップが細かすぎるような気がして,イヤになってしまったからだ」と述べている。
そして初版〈浮力〉で行った授業結果について「楽しいけれどあまりよくわからなかった」が,男子38名(52%),女子46名(77%)と過半数を占めていたことを報告し,「もっとよくわかってくれるといいなとは思いながらも,大変うれしくなった」と書いている[ref]犬塚前掲,pp.13-14.[/ref]。
その上で,
現在の教育で,「楽しくてよくわからない」授業ほど評価の低い授業は無い。「楽しくないしよくわからない」授業は無視されて通るが,「楽しくてよくわからない」授業が罪悪視される風潮,そして「楽しくないけどよくわかる」授業をよしとする風潮に大きなギモンを持ち始め,わかるわからないはともかく「楽しく」ありたいと思っていたボクを,この結果はみたしてくれたからである。
(中略)
「楽しくてよくわからない」授業のスキなボクを満足させてくれる授業書がもっとでてこないかなぁ。旧版〈力と運動〉もそういう意味でボクはスキだ。何しろ,「楽しくなくてよくわかる授業」だけはやりたくない。
と書いている[ref]犬塚前掲,p.15.[/ref]。
重弘は,「このような〈「わかる」ということと「たのしい」ということは矛盾することがある〉というように問題を提起したのは,…(略)…犬塚の…(略)…論文が最初ではないか」と述べた上で,直後に行われた板倉講演について次のように記述している[ref]重弘前掲,pp.61-63.[/ref]。
板倉の考えは,「楽しい授業をやるために,わからせることはあってもよろしい,なくてもよろしい」ということにつきるようだ。だから,「楽しくて-わかる」と「楽しいが-わからない」というのは,どちらがいいとは一概に言い切れない,ということになろう。これも最終的には子どもが決めることになるからである。少なくても「わからせる」ために「楽しさ」が犠牲になるようだったら,そういう授業(授業書の改訂)はやるべきではない,ということである。
板倉は,科学史・科学教育研究の道に進んだ動機のひとつに学生運動・平和運動の体験をあげている。
そして私は,平和運動とか学生運動などの経験をつうじて,社会運動・政治運動の基礎にしうるたしかな認識論をきずくために,科学史の研究のもつ重要性をさとったのでした。私は平和運動や学生運動などの指導者たちの大衆蔑視宣伝,行きあたりばったり主義,理論無視などが気になってしかたがありませんでした。そこで,そういう運動のための大衆の科学認識,社会認識のプロセスを研究したいと考えて,科学史の研究を本格的にはじめたのです。[ref]板倉聖宣「私の科学史と認識論と科学教育-あとがきにかえて-」『科学の形成と論理』季節社1973,p.240.[/ref]
これらの運動では自分の理論がまちがいで予想が狂えばたいへんなことになる。だからその理論や予想をたてるときは真剣そのものにならざるをえない。しかも,これらの運動は,多くの場合多数派の常識の否定から出発していた。敗戦の経験は多数派の作りだす常識の危険性を教えていた。だから,常識を越えた科学的な理論を築く必要があった。多数からの孤立感を明確な理論によって支える必要があった。学生運動や平和運動は,このようにして,私にはじめて常識を越えた科学的理論の重要性と理論を検証する実験の意義を教えたのである。[ref]板倉聖宣「仮説実験授業の生い立ち」『科学と仮説』季節社1971,p.223.[/ref]
板倉は,学生運動や社会運動の経験から〈多数派に迎合せずに正しく考えられる人たち〉,あるいは〈一時的に間違っても軌道修正出来る人たち〉と,〈そうではない人たち〉の違いはどこにあるのか。そのような思考を身につけるためにはどうしたらいいのか。そういう強い問題意識をもち,科学史・科学教育を研究するようになった。
そのような板倉が生み出した仮説実験授業が目指すのは,〈自ら主体的に考えられる人間〉,端的に言えば〈自分の頭で考えられる人間〉の育成なのだ。
科学の基礎的な諸概念と原理的な法則とを確実に理解させることが重要だというのは,これからの社会でそれらの概念や法則そのものの知識が必要欠くべからざるものになるから,というそれだけの理由にもとづくものではありません。ある概念や法則を知っていること自体は必ずしも必要ではないかも知れません。しかし,これからの社会では科学的な考え方,論理的に筋道をたてて考えていき,それらの正しさをときどき事実そのものについて検証して,いつも正しい判断をすることができるという科学的創造的な人間の養成がますます重要になってくることだけはたしかです。そのような人物を育てるには,どうしても科学の論理的な体系のすばらしさを体験させる必要がありますが,それには科学の論理の「すじ」ともなり「みち」ともなる基礎概念・法則というものがいかに偉大な有効性をもつものであるかということを体験させなければならないのです。
仮説実験授業提唱間もない時期に書かれた上記の文章[ref]板倉聖宣・上廻昭『仮説実験授業入門』明治図書1965, p.22.[/ref]からもわかるように,仮説実験授業の目的は,はじめから「正しい科学概念を身につけること」はいわば手段にすぎず,その先に「自分の頭で主体的に考える人間の育成」があった。
仮説実験授業の授業書《ばねと力》の授業記録で,「力のすべてを理解した」とか,「作用・反作用の法則がわかった」という感想が,生徒だけでなく教師からも出ることがある。
そのことについて,次のような批判がある。「授業書《ばねと力》は,力の抗力概念についてのみ扱っているのに,これをもって力がすべてわかったとか,作用・反作用すべてがわかったというのは間違っている。教師でさえ,このように“誤概念”を持ってしまうのでは,仮説実験授業《ばねと力》の有効性にも疑問がある」というのである。
たしかに,授業書《ばねと力》で感動の余り,「作用・反作用のすべてがわかった」とか「力の原理が全てわかった」と考えるのは,物理学の専門家から見れば,あきらかに拡大解釈だと思われるだろう。「正しい科学概念を身につけさせること」すなわち,「わかる」を優先する立場からは,上記のような批判が出るのは無理がないのかもしれない。
板倉が,あるとき雑談の中で「自分の頭で考えれば間違えることもある。人間は間違える権利があるんだ。頭ごなしに否定せず間違える権利を保障しろ」と言ったことを,私は印象的に覚えている。
〈自分の頭で考える快感,科学的原理のすばらしさ〉を感動的に体験すれば,ときに拡大解釈して間違えることもある。その感動が,仮説実験授業で体験する「たのしさ」の正体とも言えるだろう。
〈たのしい授業はすべてに優先する原理である〉-そのことはおそらく,仮説実験授業提唱時から板倉にはあったのだと思う。しかし,そのことをより明確にかつ意識し,「たのしい授業」を原理として明言するようにようになった背景には,重弘の言うように犬塚の影響があったのだと思う。
板倉はときに仮説実験授業のことを「科学入門教育」と称することがあった。
いわゆる「科学教育研究」と「科学入門教育としての仮説実験授業」とは,一見似たような活動であるが,目指すものが違うのではないだろうか。
現在の科学教育研究では,「いわゆる“正しい科学概念”を定着させること」そのもの,つまり“わかる授業”が目的になっている。その視点では,教える内容=“正しい科学概念”の正当性は問われず,いわゆる“誤概念”は悪しきもの,「叩き潰すべきもの」とされる(実際某教育系学会でそのような発言を耳にしたことがある)。
そこには,教科書的な権威主義が潜んでいるように私には思われる。
たとえば,私が,アリストテレスやスコラ哲学の力学論について,従来のように否定的に評価するだけでなく,そのなかにこれまで気づかれなかった積極的な正しさを発見することができたのも,権威主義の発生基盤(人が疑い得ないほどの絶対的真理をつかんだと信じたときにそれがおそろしい誤謬をもたらす)についての深い関心があったからで,私の科学史研究も,じつはそのころの社会主義陣営の中で絶対視されていたスターリンとその御用学者の権威主義に対する批判を含ませていたものだったのです。(中略)権威主義的な科学がいまも絶大な力をもっていることに強い抗議をせざるを得なかったのです。そしてそのような権威主義をこえた創造的な科学史研究によって大衆の科学思想を充実させるという問題意識をもって研究を進めていったのです。[ref]板倉聖宣前掲1973,p.241.[/ref]
現代の科学教育研究では,授業前後の評価テストによってどれだけ誤概念が克服できた=スコアが上昇したか,ということが授業の成否の評価基準となっている。
それに対して,仮説実験授業の研究では,評価テストは現在はほとんどおこなわれていない。
これまで私は,学術的な文献で仮説実験授業に言及したものを読むと,それが好意的であれ批判的であれ,違和感を感じることが少なくなかった。その違和感がどこからくるのか,自分でもよくわからなかった。しかし最近,「いわゆる科学教育研究と仮説実験授業研究とは,似て非なるもの,〈目指すもの〉=〈評価基準〉が異なる別の活動だ」と考えるようになった。
同じような活動をしているように見えて,いわばパラダイムが異なる活動なのだ。同じ概念や用語をあつかっているように見えても,そこにはコミュニケーション不全(通約不可能性)が起きているのではないか。
そのように考えるようになってはじめて,違和感の正体が腑に落ちた気がする。
注:重弘忠晴氏から,一部誤認(板倉氏が科学史・科学教育研究を志した動機)を指摘され,後半部を大幅に書き換えました。重弘氏に感謝します(2021.9.14.初校,2021.10.3改訂)。