仮説実験授業と概念研究

 板倉聖宣の仮説実験授業提唱には,様々な理論的・思想的背景があるが,そのひとつに, 1950年代に行った概念調査の研究がある。

 板倉は,上川,久保らと「科学史上見られる概念上の誤りが科学教育における学生たちの誤りにもみられるのではないか」との予想のもとに東京大学の物理系学科, 一流進学高校,フランスのリセなどで調査・研究を行った1)

氷上を等速度運動する物体にはたらく力は?

 その結果たとえば,〈摩擦がほとんど無視できる氷上を運動する物体〉にはたらく力を問う問題に対して,物理を学んだ優等生でさえ,多くが「運動方向の力」といったものを考えることがわかった。

 それらをもとに,「学生たちの多くが中世のimpetus または vis impressa の力学の立場をとっており, それは通常の力学教育ではなかなか克服するのは困難である」とした。

 このような,学生たちが日常生活で身につけた「常識的・直感的な考え方」は非常に強固であり,通常の授業では克服できない。そこで,常識的・直感的概念と科学概念を対立させ,科学概念の優位を生徒が自ら納得できるようにするために,予想・実験を中心とした仮説実験授業の基本的な構成が生まれた。

 一方米国でも,1982年にJohn Clementが,空中に投げあげたコインに働く力や,宇宙船の運動に関する問題を通じて,「学生達に中世のインペタスに似た概念が見られる」とし,それをMIF=motion implies a force(運動は力を含意する)概念と呼んだ2)

 ちなみにこのClementは,先のエントリーで紹介した,仮説実験授業の授業書《ばねと力》そっくりの「橋渡し概念」を提唱した人である。

 このClementの研究を皮切りに,欧米を中心にさかんに概念研究が行われるようになり,その結果として,予想・実験を取り入れた仮説実験授業とよく似た授業法が多く生まれたことは先のエントリーで述べたとおりである。

 私が残念に思うのは,欧米で概念研究や予想の重要性といったものが流行した途端に,日本の科学教育関連の研究者たちが,とたんにそれを輸入し,同様の研究をやりはじめたことである。

 本来は日本の研究者たちが,欧米に向けて日本にはすでに先進的にそのような研究があることを海外に発信するべきなのだ。

 実際,1980年ころに板倉と東大物理で同窓の物理学者が〈欧米の科学教育においてそのような研究がはじまっていること〉を知り,板倉に英語論文を書くことを強く勧めたそうだ。しかし板倉はそれを断固拒否したと言う。

 板倉はアカデミズムの世界に認められ,その影響のもとに広まるような形での普及を好まなかった。何よりも現場教師に認められ,現場から普及することを強く願っていたのだ。“大衆の御用学者”を自称する板倉らしい頑固さである。

 しかしだからこそ,板倉に代わり,仮説実験授業の先進性を組織的に海外に発信する仕事を,他の教育学者たちがするべきだったのではないだろうか。しかしそういう学者は現れなかった(つまみ食い的に紹介する人はいたらしいが)。

 逆に海外で類似の研究が流行したとたんにありがたがって輸入し模倣するのである。

 板倉は,脚気研究において,欧米の三大栄養素説に東大医学部を中心とする優等生学者たちがとらわれて,高木兼寛,堀内利国らの麦飯説を弾圧した歴史を明らかにし,『模倣の時代』という著作を著した。

 少なくとも現代日本の教育学においては「模倣の時代」は未だに終わってはいない。

  1. ^岩城正夫・上川友好・板倉聖宣「理科教育におけるアリストテレス・スコラ的力学観と原子論的・ガリレイ的力学観」『科学史研究』(日本科学史学会)第52号(1959),板倉聖宣『科学と方法』(季節社1969)にも所収。
  2. ^J.Clement“Students’ preconceptions in introductory mechanics”,Am.J.Phys.50,66-71(1982)