理科教育における“予想”の流行と海外の研究動向

日本の理科教育での流行

 60年ほど前に仮説実験授業が提唱された当時(1960年代),「学習前の白紙状態の子どもたちに予想を立てさせるなんて無謀だ。たんなるあてずっぽうになってしまうだけだ」という批判が教育学者たちから出たという。当時はまだ,教育学者の間ではロック流の子供白紙説が主流だったようである(塚本他2017,p4.)。

 私が駆け出しの高校教師だった30数年前(1990年代)でも,他の理科教師から「生徒たちに予想を立てさせるなんて,たんなるアテモノ的な遊びにすぎない」と批判されたことを覚えている。

 ところが最近では,学習指導要領など文科省から出る文書にも,「仮説」とか「予想」などという言葉が入るようになっている。また,仮説実験授業関係以外の理科教育書でも「仮説」とか「予想」という言葉を見かけるようになった。

 実際,最近は教育実習の見学などで中学校を訪れると理科実験室に「予想をたてる」とか,ときには「仮説」などという標語(?)が当たり前のように掲示されていて驚かされる。「仮説」や「予想」という言葉は,現在の理科教育では流行しているようだ。

 しかし,理科教育一般でいわれているこのような「仮説」というのは,仮説実験授業でいう「予想」と混同されているようにも思われる。しかも,どうでもいいようなことまで「仮説」と呼んだり,つまらないことまで予想させていたりしているようで,むしろ生徒たちをうんざりさせてしまっているのではないかと懸念している。

日本の流行の発信源としての海外の研究

 日本の理科教育における最近のこの「流行」の発信源は,海外の科学教育研究からの影響が大きい。1980年頃から英語圏を中心に海外の科学教育研究者の間でも,「実験前に予想を立てることの重要性」が発見され,〈予想―実験を取り入れた,一見仮説実験授業とよく似た授業法〉が提唱されるようになった(塚本2004)。

 たとえば,クレメントという米国の学者は,1993年に「橋渡し法」という授業法を提案している。これは,強力なばね→机上に置いた本→机を構成する粒子間の押し縮み,という段階を踏んで抗力概念を導入しようというもので,仮説実験授業の《ばねと力》(1964 年)と構成がそっくりである。

クレメントの橋渡し法(1993)
仮説実験授業《ばねと力》(1964)

 また,米国の物理学者レディッシュによる物理教育書Teaching Physics with the physics suite(Willey2003,邦訳『科学をどう教えるか』丸善2012)には,仮説実験授業の授業書《電池と回路》(1977年)と同様の問題が1992年の米国の教育学者(McDormott)の論文からの引用として掲載されている。

Redish2003(オリジナルはMcDormott1992)

仮説実験授業《電池と回路》(1964)

 さらに2019年の英国科学教育学会(ASE)の全体講演では,授業書《浮力と密度》(塚本の手元にある版は1978年8月版)におさめられている問題と同様の問題が紹介されている。もちろん《仮説実験授業》への言及はなく,それらの著者あるいは他の欧米の学者のオリジナルとして扱われている。

ASE講演2019(バーミンガム大学)
仮説実験授業《浮力と密度》(1978年版)

 仮説実験授業の提唱当時,板倉聖宣は,仮説実験授業が文部省や教育委員会によって導入されたり,海外の教育学者に認められて逆輸入されたりというような形での流行を極力避けようとした。

 板倉は,上からの普及ではなく,現場教師たちが自らの意思で実践し,その成果が蓄積することによる普及を理想としたからだ。それは,「科学は大衆のものとなってはじめて真理となる」という,板倉の民主主義的科学観に基づくものだった。

 科学史家でもあった板倉は,〈ガリレオやボイルなどの科学者が,当時の研究者の言語であったラテン語ではなく,イタリア語や英語といった母国語で発表し大衆への普及を目指した〉ように,〈現場教師による自主的な実践が蓄積され,その結果として世界中に広がるということ〉を理想としたのだ。

 実際,これまで日本では,仮説実験授業研究会を中心とした熱意ある教師たちの自主的な研究によって着実な成果が積み上がってきている。また,仮説実験授業の授業書概念や,それに基づいたたのしい授業の思想など,未だに海外の授業理論に対する仮説実験授業の先進性はゆるがない。

 しかし近年の現状を見ると,海外で類似の授業理論が流行し流布し逆輸入されていくうち,仮説実験授業の成果が曖昧なまま埋もれていってしまうのではないか,という懸念を私は持っている。

 今後,自動翻訳の技術が進むにつれて,海外から日本語の文献にアクセスすることが,これまでより容易になっていくことだろう。しかしそれは,授業書の断片的な流出・模倣を生むことにもなりかねない。

 日本のアニメ文化でも,ジャングル大帝やマジンガーZなどが海外で模倣されたということが話題になったことがある。仮説実験授業の授業書でも,同様のことが起こりうるかもしれない。

 今までも一部の授業書が仮説実験授業研究会員らの手によって,海外で翻訳・実践され成果をおさめた様子がいくつか報告されてきている。それはすばらしいことで,今後もより進めていくべきだろう。その一方で,そのような授業を体験して,「仮説実験授業をより学び実践しよう」と海外の教師たちが思っても,仮説実験授業の基本文献や授業書が日本語でしか読めない現状では,断片的に授業書の一部だけがつまみ食い的に模倣されていってしまう可能性がある。

 そのような意味で,仮説実験授業の基礎文献や授業書を英訳して書籍出版したり,英語公式ウェブサイトなどでダウンロードできるようにして積極的に海外に発信しなければならない時代を迎えているのではないだろうか。