科学実験機器のルーツ【1】望遠鏡と顕微鏡 (2)

1-2科学研究と科学教育/啓蒙

 現代の科学論文は英語で書くのが普通である。日本語のようなローカルな言語で書かれると,重要な発見が世界中の学者に認知されにくいためである。

 逆に言うと,重要な発見を英語が母国語でない人々に広めるためには,あらためてその言語で紹介しなおさなければならないことになる。したがって,現代では必然的に科学研究と科学教育(啓蒙)に乖離が生じることになる。

 ガリレオの時代は学問の公用語はラテン語であった。ガリレオは最初に出版した『星界の報告』こそラテン語で書いたものの,その後慣性の法則や落下の法則などの重要な発見を報じた『天文対話』『新科学対話』は,母国語であるイタリア語で書いた。

 ガリレオは権威ある学者たちよりも,身近な人々に支持される道を選んだのである。

フックの顕微鏡(『ミクログラフィア図版集』仮説社)
フックの顕微鏡(『ミクログラフィア図版集』仮説社)

 ガリレオ以降,ボイル,フック(英語),ダランベール,ラボアジェ(フランス語)など18世紀頃まで多くの科学者たちは同様に母国語で著書,論文を書いた。科学はもともと,研究と啓蒙(教育)が不可分なものとして誕生したのだ。その意味でガリレオは科学の父であると同時に科学教育の父でもあるとも言える[ref]板倉聖宣『科学と教育』(仮説社2008)pp.38-45.[/ref]。

1-3ガリレオの精神を受け継いだ科学者たち 王認学会とフックの顕微鏡

 顕微鏡は望遠鏡に少し遅れて発明されたと言われている。ガリレオも顕微鏡観察を行ったが,望遠鏡ほど重要な発見はしていない。

 初期の顕微鏡観察による数々の発見を報じた本として有名なのは,ロバート・フック(1635-1703)による『ミクログラフィア─微小世界図説』である[ref]板倉聖宣・永田英治訳『ミクログラフィア』(仮説社1984)[/ref]
[ref]板倉聖宣・永田英治訳『ミクログラフィア図版集』(仮説社1985)[/ref]。この本は特にコルクの細胞の観察図で有名であるが,それだけでなく,「動植物の観察図,光の波動説,毛管現象に関する彼の研究成果がたくさんもり込まれている」[ref]板倉聖宣『科学者伝記小事典』(仮説社2000)p.48.[/ref]。

フックによるノミのスケッチ
フックによるノミのスケッチ(『ミクログラフィア図版集』)

 フック以前にも顕微鏡で観察し,それを報じた科学者たちはいた。しかしフックが優れていたのは,その画力もさることながら,〈予想をたててそれを確かめる〉という観察態度だった[ref]板倉聖宣「授業書〈30倍の世界〉とその解説」(『授業科学研究12』仮説社1982, pp.169-208.)[/ref]。それはまさにガリレオが確立した仮説実験的な科学研究の手法だったのである。

 フックが予想のよりどころとしたのは原子論だった。たとえば有名なコルクの観察では,フックはコルクが軽くて弾力があるのは,コルクには原子のすきまがあるのではないかという予想があった[ref]永田英治「フックの復権とたのしい科学」(『初等科学史研究MEMO2』楽知ん研究所2000,pp.65-85.)[/ref]。

コルクのスケッチ(
コルクのスケッチ(『ミクログラフィア図版集』)

 もうひとつフックの成功の要因は,フックの顕微鏡観察を喜んでくれる人々の存在である。

 フックは,そのころロンドンで発足した王認学会の実験主任として,毎週何かの実験を見せていた。その中でフックは数々の顕微鏡監察の報告をし,その見事な報告に感銘を受けた王認学会のメンバーが費用を出し合って『ミクログラフィア』を出版することになったのである。フックの研究もまた,教育啓蒙的な仕事と不可分であったと言える[ref]板倉前掲1982,永田前掲2000[/ref]。