科学実験機器のルーツ【1】望遠鏡と顕微鏡 (1)

1-1 ガリレオと望遠鏡

ガリレオの望遠鏡
ガリレオの望遠鏡

ガリレオ(1564-1642)は,1609年オランダで望遠鏡が発明されたとの噂を聞き,望遠鏡を自作して天体観測を行った。その観測結果を『星界の使者』と題して1610年に発表。

その本で月の凹凸,木星の衛星の発見などを報告した[ref]邦訳は山田慶児・谷泰訳では『星界の報告』(岩波書店 1976),板倉聖宣訳『望遠鏡で見た星空の大発見』(仮説社 2013)がある[/ref]。

 当時,アリストテレスの考えを受け継いだ天動説派の人々は,地上と天界では別の法則が支配すると考えていた。「月や太陽は天界に属していて,完全な物体だから永遠の運動を与えられている」というわけである。

だから,〈月もまた地球と同じような岩石で出来ていて凹凸がある〉ということや,〈地球ではなく木星のまわりをまわる天体がある〉という発見は,天動説派に対する強い反証となった。ガリレオはその後さらに,太陽黒点も発見した。

太陽もまた,完全な物体ではないことを示すことになったのである[ref]板倉聖宣『科学者伝記小事典』(仮説社 2000)pp.30-31.[/ref]。

 〈地上も天体も同じ物体で出来ている〉と言うことになると,両者を支配する法則は同じだということになる。ガリレオが発見した慣性の法則は,〈地球や月などの運動をさえぎるものがなければ,いつまでも動き続ける〉ということを示すことになり,地動説の理論的根拠となった。

ガリレオの月のスケッチ
ガリレオの月のスケッチ

さらにまた,天体が運動する空間は「何もない空間」であるということになり,必然的に真空の存在を前提とする。地上と天体が同じ物質で出来ているということや真空の存在という考え方は,ともに原子論的な世界観に基づくものだった。

ガリレオの勝利は原子論的世界観の勝利とも言えたのである[ref]板倉聖宣『科学と科学教育の源流』pp.259-263.[/ref][ref]板倉聖宣『落下法則の成立史』(日本科学史学会『科学革命』森北出版 1961.)pp.207-235[/ref]。