科学の古典から学ぶということ

——ボイル『粒子哲学に基づく形相と質の起源』からの学び方——

塚本 浩司(1992.7.29. 1999.2.27.改訂,『第Ⅲ期仮説実験授業研究』第8集(仮説社1999.4.)pp.47.-60.)

この論文について

 1992年7月29日(仮説実験授業研究会夏の合宿研究会で口頭発表し,その後大幅な改訂を経て,『第Ⅲ期仮説実験授業研究』第8集(仮説社1999.4.)に収録されたものである。

 はじめて,自分の本格的な文章が公刊雑誌に掲載されたもので,大変うれしかったのを覚えている。内容も,今でも結構気に入っている。好意的な感想も多かった。

近代科学成立期の科学者たち

 近代科学成立期(1600年代から1800年代中頃まで)の科学研究は,アマチュアの道楽としてはじまり,必然的に大衆の興味と結びついていました。

 近代科学が誕生した1600年代には,それまで科学そのものがなかったわけですから,科学者という職業も,もちろんありませんでした。この頃の科
学者のほとんどは,はたらかなくても食べていける裕福な貴族階級が,たのしみごととして,つまり道楽として科学をたのしみ,研究したのです。

 ですから,その著作は〈当時の学者の公用語であるラテン語〉で書かれることはあまりなく,多くは自国語で書かれています。すなわち,読者対象は学
者ではなく,自分の周りの人々=大衆であったわけです。また,当時成立したいくつかの〈科学に関する学会〉はアマチュアが自主的に集まってできた会合
—いわゆるサークルのようなものでした(板倉聖宣『楽しい科学の伝統にたちかえれ』(キリン館),板倉聖宣『科学と科学教育の源流』(仮説社)など)

 ですから,この時期の科学者たちは,現代の私たちが抱く〈象牙の塔の学者〉という印象よりは,「新しく生まれた“科学”」を愛好するひとたち—愛好家という印象でとらえた方が,実際の姿に近いのかもしれません(ちなみに,このころのイギリスでは,「科学者」に相当するscientistという言葉はまだなく,natural philosopher(自然哲学者)と呼ばれていた)

 ところで,「ボイルの法則」で知られるロバート・ボイル(1627-1691)もやはり,

  1. 彼が,設立時の主要なメンバーであった王認学会は,裕福な有閑階級を中心としたアマチュアによって構成されており,彼もまた,親からひきついだ財産によって,働かなくても食べていける身分であったこと。
  2.   その王認学会は毎回1シリング(1000円)の会費を出し合って週一回,実験や研究の発表がおこなわれていたこと。
  3.   代表作とされる『空気の弾性に関する新実験』(1660),『懐疑的な科学者』(1661),『粒子哲学に基づく形相と質の起源』(1666)などはすべて母国語の英語で書いていること。

などから,「彼もまた,自らの興味関心にしたがって,道楽として科学を研究した科学愛好家=科学者のひとりだった」と言ってよいように思います(板倉『科学と科学教育の源流』(仮説社))

 それなら,ボイルの著わした一連の書物もアマチュア的な興味・関心で書かれており,科学好きの一般の人々が読者対象だったはずです。ですから,現
代の私たちが読んでも,興味がもてるようなこと,あるいは学べることが書いてあるように思えます。板倉さんが抜粋・翻訳して紹介したS.ピープスの日記に
も,彼がボイルの著作を購入し,関心を持っていたことが記述されています(『ロンドン科学日記』(板倉研究室1995)

 ピープスは王認学会の会員でしたが,本職は役人でした。彼は自分で実験をしたり,著作を出版したりすることはありませんでしたが,王認学会を通じ
て科学を楽しんでいた様子が,日記からうかがえます。まさに科学愛好家という言葉がぴったりくるような人物です。そんなピープスが読んでいたボイルの本の
一冊が『粒子哲学に基づく形相と質の起源』です。

 幸い,この本は赤平清蔵氏による全訳が『科学の名著 ボイル』(朝日出版社1989)におさめられています。私は上記にあげたような期待をもっ
て,この本を読みはじめたのですが,読みはじめてすぐに閉口してしまいました。内容が全く頭に入ってこないのです。もともと私は科学史や化学の専門家でも
なく,西洋史は高校の授業で落ちこぼれたっきりですから,基礎知識が不足していたのは,いなめません。それにしても知識不足を補おうとこの本の半分近くを
占めている解説を読んでみても〈解説の意味そのもの〉がわからないのには参ってしまいました。

 この翻訳とその解説では,「ボイルがどんな問題意識で,何を面白がっていたのか」が,私には全くわかりませんでした。ボイルは,〈余暇に恵まれ
て,自分の興味・関心にしたがって研究した道楽科学者〉だったはずです。だから,彼はいろいろな実験や研究をわくわくしながら楽しんでいた——そ
んな私のイメージと,この本で紹介されているボイルのイメージがあまりにもちがいすぎるので,私はがっかりしてしまいました。

ボイルの実験の追試

 ところで,この本のかなりの部分は,〈実験や観察に関する記述〉で占められています。そこで,「実験に関する記述なら,概念的な理論を述べたとこ
ろよりはわかりやすいかもしれない」—そのように考えて,こんどは実験に関する部分を中心にもう一度読み直そうとしてみたのですが,すぐに,それも無
駄な努力のように思うようになりました。

 というのは,実験に関するボイルの説明を読んでも,「彼がなんのために,何を確かめたくて実験したのか」が,さっぱりわからないのです。のみなら
ず,「実験そのものが,どんな実験であるか」ということさえ,私には理解できない部分もありました。嫌気がさしてきて,「もう,この本を読むのをやめよう
か」とも思いました。

 しかし,「ボイルが〈道楽として,たのしい研究をした科学者〉なら,われわれにも理解できるイメージをもって,わくわくしながら実験したはずです。そういう部分が発見できないだろうか」——そう考えていた私は,なかなかあきらめきれないでいました。

 そこで方針を変えて,「もし,この本の実験のどれかを再現することができたら,〈ボイルの抱いていたイメージ〉を少しでもとらえることが出来るの
ではないか」と,考えてみました。意味不明の実験や,簡単に再現するのは難しそうな実験もありますが,なかには私にもできるような実験が見つかるかもしれ
ません。

 そう考えて探してみると,次のような実験を見つけることが出来ました。赤平清蔵訳『形相と質の起源』の中の「質と形相の起源についての考察と実験 自然誌編 第二節 実験」の実験Ⅰから,引用します。

 良質で純粋な礬油(硫酸)を用意し,その中に粗く砕いた良質の樟脳の適量を投げ入れ,しばらくの間,そこで浮動させてお
くと,外部から熱を加えなくとも,それは次第に分解して液体になり,時々ガラス容器を揺り動かすと,礬油と混ざるようになる。このやり方で,初めは礬油を
美しい黄色に,次に真っ赤ではないがその色に近い色にすることができよう。またその色は非常に濃いので,その混合物を完全に不透明にさせるほどであった。
すべての樟脳が溶媒と結合して完全に溶解した際に,もし成分が良質で正しい割合に偶然なっていると(というのは,それらのうちのどちらかに,ちょっとでも
手違いがあれば,この実験のこの箇所は不成功に終わるからである),多分あなたは,私が一度ならず作ったような混合物を手に入れるだろう。つまりそれは,
臭覚が決して鈍くない私ばかりか,この実験を知らない他の人々にも,全く樟脳の香りがしないような混合物である。しかし,この液体に適量の真水を注ぐと,
瞬く間にほとんど最初と同じ青白色になるのを,あなたは(多分喜んで)観察するだろう。

 すなわち,溶媒の細孔に隠れていた樟脳そのものが,直ちに現れるであろう。

 それで,白くて浮遊する可燃性の樟脳が,それ自身の本性と元の形態で出現す る。それは小瓶ばかりでなく,周囲の空気も強い拡散性の芳香で満たすであろ う。

 ところでこの実験は,別の所で示した使いみちのほかに,当面の目的にふさわし いいくつかの事柄を与えるであろう。

(後略)

(赤平清蔵訳「形相と質の起源」『科学の名著 ボイル』より)

 わかりにくい文章ですが,とにかくこの実験は「硫酸に樟脳を混ぜると色がいろいろと変わる」という実験であることは間違いないようです。

 濃硫酸をあつかうのはちょっとオソロシイと思いましたが,試験管に入れて樟脳を溶かすだけでよいのですから,簡単に出来そうです。それに,溶液の
色がいろいろ変化するらしいので,観察するだけでも面白そうに思いました。そこで,さっそく勤務先の化学実験室でやって見ました。

 濃硫酸を試験管に1~2ccほどとり,薬屋で買ってきた〈タンス用の樟脳〉を砕いて入れてみます。入れるとすぐに,樟脳が溶けていきます。そして
溶けるにしたがって,溶液はしだいに黄色にそまっていくのが,観察できました。この黄色は,樟脳を増やしていくと,濃くなっていきますが,不透明になるこ
とはありません。そして,それを1時間ほどほうっておくと,溶液の色が赤茶けてにごった色になっていきました。

 この部分は,上記の引用の

このやり方で,初めは礬油を美しい黄色に,次に真っ赤では
ないがその色に近い色にすることができよう。

という部分に相当するわけですから,「ほぼボイルの書いてある通りのことがおこってい
る」と言ってよいようです。

 上記の引用には,このあと,

しかし,この液体に適量の真水を注ぐと,瞬く間にほ とんど最初と同じ青白色になるのを,あなたは(多分喜んで)観察するだろう。

とあります。

 そこで,この溶液に水を加えて試験官をふってみました。すると,今まで樟脳が溶解していた〈透明で黄色の溶液〉が,水と混ざったとたんに白濁し
て,樟脳が復活します。手順を逆にして,〈水を入れたビーカー〉のほうに黄色い溶液を注いでみると,もっと見事で,黄色だった溶液が,水に入れた瞬間に,
さっと煙のように白濁してしまいます。一瞬で黄色い溶液が樟脳に変化(復活)するのです。実際に,水の底に沈殿した白い物質の匂いをかいでみると,樟脳特
有の強い香りがしますので,樟脳にまちがいないようです。〈一度濃硫酸に溶解してしまった樟脳〉が水と混ざるだけで復活するのですから,まるで手品のよう
です。ボイルが「あなたは(たぶん喜んで)観察するだろう」と言っている通り,私はとても喜んで観察しました。〈時間がたって赤くにごった溶液〉の方はど
ろっとしていて,ビーカーの水にいれても,そのまま底に沈んでしまいましたが,そのかたまりをガラス棒で突っついてやると,だんだんとくずれて,やはり白
い樟脳にもどっていくのが観察できました。

 実に簡単で興味深い実験です。硫酸に溶かす樟脳の濃度と,溶かしたあとの経過時間によって,うすい黄色から赤茶けた色まで,何段階もの色調が生ま
れます。そして,溶液中では,樟脳は完全に反応してしまって消え去ってしまったような感じです。 ootnote{実際には,化学反応というよりは,硫
酸の溶液中に樟脳が溶解した状態になっているのだと思われる。これに水を注ぐことによって,溶解していた樟脳が溶けきれなくなって析出しているのである。
みょうばんなどの飽和水溶液の温度を下げるとみょうばんの結晶が析出するのと,同じ原理の現象であると思われる。ちなみに,濃塩酸でも同様の実験ができた
が,樟脳が溶けた溶液は黄色ではなく,白っぽい溶液になった}樟脳の強い香りも,かなり弱くなっているか,消え去っています。

 そうやって完全に消え去ってしまったように見える樟脳が,水と混ぜるだけで,一瞬にして白い樟脳が復活するのですから,とても感動的です。「これならボイルが興味をもって面白がっただろうな」というのが良くわかりました。

なぜ読めない翻訳になるか

 翻訳を読んだだけでは,どうしてもボイルが考えていたイメージがつかめませんでしたが,実際に実験をしてみることによって,やっとボイルが楽しんで実験をした様子を感じとることができました。

 そこで,上記の引用文の直後にある,この実験に関する説明を,ていねいに読み直してみることにしました。

 引用します。

(1)というわけは,(最初に)軽くて堅い物体が粉砕によってある形の微粒子にされると,浮動し続け,その物体が以前浮か
んでいた液体と混合し,しかもその液体はその物体自身よりもはるかに重いのを知っている。それで,王水中に金が溶解する事から,物体中で最も重い物体で
も,十分微細な部分に分解すれば,その物体自身よりもはるかに軽い液体中に沈まないでいることが明らかであるのに対して,我々のこの実験は,今までに証明
されているかどうか知らないが,軽い物体の粒子を,それより重い液体の上に浮上させなくすることができることを明示しているのである。金の例に付け加えた
この例は,物体を極めて微小な部分に分解するとき,それらが沈むか,浮かぶか,浮動するかを決定するには,公認されている水力学の規則はもとより,物体の
個別的構造をも考察しなければならないことを,我々に教えているのである。

(2)さらにこの実験は,いくつかの色や濃い色さえもが,白色の物体と透明な液体から,火やいかなる外部の熱を加えなくとも,作り出せることを示している。

(3)しかもこの色は,あたかも消滅したかのように,瞬く間に消えるが,その隠れた色—多くの人々がそう呼んでいる—は,それ自身どんな色をもっ ていない真水を加えるだけで突然再び現れるのである。こういうわけで,色を消滅させたり,他の色を強くして主色にすることは,正反対のことだと思うし, また水が,消失した色を吸収したり,回復した色を付け加えることはないだろう。

(後略)(赤平清蔵訳「形相と質の起源」より。下線は引用者による。)

 実際に実験をした後なので,関心を持って読み進んでみた私ですが,残念ながらこの文章は,全く意味がわかりませんでした。とくに意味不明だったのは,(3)の部分です。ここには,

しかもこの色は,あたかも消滅したかのように,瞬く間に消える

という表現がありますが,「この色」とはなんでしょうか。私には(2)で述べている〈いくつかの色や濃い色〉のことであるようにしか思えません。そう考えると,「この色」は,〈樟脳を硫酸に溶かすことによって生じた黄色や赤色のこと〉ということになります。

 すると,この(3)は,「いくつかの色や濃い色がいったん隠れた色になって消えた後に,水を加えることによって突然再び現れる」ということを説明しているように私には思えました。

 しかし,実験をしてみればわかるように,「水を加えることによって復活する」のは樟脳であって「いくつかの色や濃い色」ではないのです。どうなっ
ているのでしょうか。原文が見てみたくなりました。幸い,板倉さんから原文のコピーを頂いています。その部分を抜き出してみます。

And that yet this colour may almost in the twinkling of
an eye destoroyed,and,as it were,annhilated ; and juline{the latitant 
whiteness},as many would call it,may be as suddenly restored by the
addition of  nothing but fair water, which has no colour of as suddenly
restored  by the addition of nothing but fair water, which has no colour
of its own ; upon whose account it might be surmised to be contrary to
the  perishing colour,or to heighten the other into a predominacy ; nor
does the water take into itself either the colour it destroyed, or 
that it restores. For

(下線は引用者による。)

 「隠された色」と訳されている部分が原文ではlatitant whitenessとなっています。latitantとは,latent(隠れている,潜在的な)の古語ですから,素直に訳せば「隠れた白」です。

 そうだとすると,文章の意味は全く違ってきます。真水を加えることによって復活するのは赤や黄色ではなくて,樟脳の白だったのです。私がやってみ
た実験とも一致するではありませんか。この訳者はおそらく実験の追試をしていないので,まちがったイメージのもとに誤解してわざわざ苦労して
whitenessを「白」と訳さずに「色」と訳しているのではないでしょうか。

 もしこの部分を訳すとしたら,

 しかも無色の純水を加えるだけで,この色はあたかも滅ぼされたかのように瞬く間に消え,〈多くの人々がこれを見たら,きっと「隠れた白」とでも呼ぶようなもの〉が突然現れる。

とでも訳すべきなのです。水を入れることによって「色が消滅すること」と「白色が復活すること」が同時に起こっているのです。訳者は「色が消滅して,後にその色が水によって復活する」と勝手に(実験せずに)解釈をしたので誤訳をしたのでしょう。

 また,最初に引用した部分の訳で,「液体に適量の真水を注ぐと,瞬く間にほとんど最初と同じ青白色になる」というくだりがありますが,実際に実験
してみれば真っ白になるのですから,ここは白色と訳すべきです。この訳者は,paleを「青白色」と訳しているのです。paleはふつう顔色に使われる単
語ですから,対応する日本語は「青白色」でかまわないのですが,この場合は「白色」と訳さねばならないのです。これも実験を追試すれば簡単に気づくことな
のですが……

ボイルの溶解のイメージ

 思わず,あらさがしのようなことをしてしまいました。おそらくどんな翻訳にも誤訳はいくつかあるでしょうから,それを見つけたからと言って得意
がっても仕方がありません。とくに,赤平氏の翻訳は200ページ以上にもわたる労作です。そのたった一ヶ所におかしな所を見つけたからと言って自慢できる
ことではありません。

 しかし,このことを通じて,「科学史を研究する」ということについて本質的な立場の違いということが見えてきたような気がします。そのために,もう一ヶ所について分析してみます。

 (1)の一部を再度引用します。

というわけは,(最初に)軽くて堅い物体が粉砕によってある形の微粒子にされると,浮動し続け,その物体が以前浮かんでいた液体と混合し,しかもその液体はその物体自身よりもはるかに重いのを知っている。

 ここも,まったく私には意味がわからなかったところです。そもそも「知っている」の主語がわかりません。原文も引用します。

For(first) we see a lighter and consistent body brought
by a comminution into particles of a certain figure,to be kept swimming
and mixedwith a liquor on which it floated befor, and which is by great
odds heavier than iself:

 原文と対照させてみると,「知っている」というのはwe seeに対応していると思われます。つまり「私たちは知っている」ということらしいのです。

 しかしそれ以上にわからないのは「ある形の微粒子にされる」とありますが,この実験でいつ「ある形の微粒子に」したのでしょうか?この実験の説明
の冒頭には「粗く砕いた良質の樟脳の適量」とあります。粗く砕いたのなら,ある(きまった)形の微粒子にはなりません。バラバラの形になるはずです。

 ここは,はじめのうち,私もわからなかったのですが,板倉さんにこの点について質問して話をしているうちに,だんだん理解できるようになってきました。

 ボイルは表題の通り「粒子哲学に基づいて」このさまざまな現象を説明づけようとしています。しかし,ボイルの粒子仮説は,現代における分子運動論
のイメージとはちがいます。ここでは溶解について述べていますが,ボイルは溶解について「〈硫酸の粒子の粒と粒の間〉に樟脳の細かい粒子が隠れている」と
いうイメージを持っているのです。

 たとえば私たちは「砂糖が水にとける」のはきわめてあたりまえのように見過ごしてしまいます。しかし,これは考えてみれば不思議なことです。普
通,私たちの経験では水より重いものは水に沈み,軽いものは水に浮かびます。なのに〈水より重い砂糖〉は水の中で沈まずに,水の中で消え去ってしまうので
す。

 ボイルは,それと同じように「硫酸より軽い樟脳が硫酸の中で消えてしまったこと」に感心しているわけです。その上でその現象を「硫酸の中で樟脳が細かい粒子になって硫酸の粒子の隙間にはりこんでしまったのではないか」と考えているわけです。

 だからここは「粉砕によってある形の微粒子にされる」というよりは,「硫酸に溶けることによってある決まった形の微粒子になる」という意味に訳さねばなりません。最小単位の微粒子はどれも同じ決まった形(a certain figure)をしているというわけです。

 したがって,次のように訳すほうがわかりやすくなります。

軽い固体が細かくされてあるきまった形の微粒子にされると,前にはその液体の 上に浮かんでいたのに,〈そのものよりはるかに重い液体〉に混合するように なる

科学の古典から学ぶということ

 私たちはつい,現代の科学知識を基準に,過去の科学者を評価してしまいがちです。そうなると,現代からみれば誤った考えを〈単なるおろかな過ち〉
と考えるか,そうでなければ,〈その時代固有の概念にとらわれた誤り〉として,現代の私たちと切り離して考えてしまうことになります。

 しかしそうなると,過去の学説は,単なる〈過去の誤まった考えの一つ〉以上のものではなくなってしまい,そこから学ぶことはできなくなってしまいます。

 仮説実験授業の授業記録では,〈正しい予想を立てた子ども〉が討論の中で,〈教師がするような説明以上の説明〉をしても,他の子どもたちが説得に
応じなかったり,逆に〈まちがった予想の子ども〉が,〈教師にはおかしな説明に聞こえるようなこと〉を言っているのに,多くの子どもの支持を得てしまうよ
うな場面がときどきみられます。

 そういった〈間違った概念〉を多くの子どもが一時的に支持していても,仮説実験授業では〈いくつかの実験〉を経験していくことによって,〈間違っ
た概念〉はのりこえられられていきます。そして最後には,ほとんどの生徒が〈正しい概念〉に基づく予想を立てられるようになります。

 これは,過去の科学者たちが,現在から見れば〈全く間違った概念〉にとらわれてしまって,なかなか真理に到達できず,それがやがて,多くの仮説実験によって,現代の正しい概念に到達していくのと全く同じことのように私には思えます。

 そのことに気づいてみると,〈過去の学説に学ぶ〉ということは,人間がどのように間違え,その間違いをどのように乗り越えて真理に到達していった
のか,その認識の過程を学ぶことであるように思えます。つまり科学史を研究するということは,「人類が数百年,またはそれ以上にわたって,自然を相手に,
仮説実験授業をおこなってきた授業記録を読み解く作業である」ということだと,私は思うのです。

 現代の科学知識をもった私たちが,過去の学説を評価できないのと同じように,教師たちはつい,生徒の過ちを「おろかな間違い」と切り捨ててしまい
がちです。しかし,たとえば原子論にしても,あるいは力学の力概念・エネルギー概念にしても,その時代に大きく影響を与えた大科学者たちが混乱して考え,
その間違いを乗り越えるのに,ときには100年以上もかかっているのです。

 そのことを知れば,教室での子どもたちの間違いを「偉大なる間違い」と積極的に評価できるようになっていくのではないでしょうか。

 そして,このような視点で科学の歴史から学んだことは,科学教育に生かせるだけでなく,これから先,〈どう考えたらいいのかわからない〉といったような,未知の問題を解く場面にも生かしていける知識になるに違いありません。

 なぜなら,すでに道筋が決まっている一本道をたどっていくだけなら,優等生的に正しい答えを受け入れていけばすむことですが,ボイルのように「ど
ちらに進んでいいかわからない」というような最先端にいる場合は,「ああも考えられる,こうも考えられる」と空想をふくらませながら,いろいろな実験を試
して進んでいくしかないからです。

 そして,そのような視点で科学史を学ぶことによって,私たちは過去の学説から多くのことを学べるようになるのであり,そのとき,科学の古典は,多くの実践的成果を生みだす宝庫になりうるのです。

 「科学の古典から学ぶ」ということはそういうことであって,単に懐古趣味的に過去の学説をせんさくするだけでは,何ものも生み出すことはできないのです。

(おわり)

謝辞

 本文では,赤平清蔵さんの翻訳をところどころ批判したようにとれる部分もありますが,この赤平さんの翻訳がなければ,ボイルの実験を検討するという本研究はできなかったに違いありません。先駆者としての赤平さんの仕事に感謝します。

 また,この研究に際しては板倉聖宣さん(私立板倉研究室)から数多くの助言・指導をいただいております。そもそも,「ボイルがおもしろそうだ」と
いうことは板倉さんから教えていただいたことです。また,『形相と質の起源』の翻訳を読んでみることも板倉さんに勧めていただきました。本文中,私が「翻
訳しなおした」とした部分は,板倉さんにだいぶ手を入れていただいております。その他,全般にわたって,板倉さんには重要な指導・助言をいくつも頂きまし
た。ありがとうございました。

 本稿は,1992年の「仮説実験授業研究会夏の全国合宿研究会(長野大会)」において発表したものに,かなり手を入れたものです。

 改稿にあたっては,松野修さん(大学非常勤講師),長崎平和さん(塾講師),橋本淳治さん(大学院生,予備校講師)から,くわしく「わかりにくい
ところ,表現を改めた方がいいところ」を指摘していただきました。それだけでなく,上記の方々には,この論文の評価もしていただき,たいへんうれしく思い
ました。ありがとうございました。

 松野さん,長崎さんからの指摘は,インターネットを利用したメーリングリスト「コーヒーハウス楽知ん」において,いただきました。メーリングリスト主催者の松野修さんには重ね重ね感謝します。

 また,1992年以来,いわば「埋もれた状態」になっていたこの論文を再評価してくださった仮説社社長の竹内三郎さん,編集者の増井淳さんにも感謝します。増井さんからは,改稿にあたって,いくつかの示唆を頂きました。特に記して感謝します。