ピンホールが像を結ぶことは古くから知られていた。古くはアリストテレスが日食の像を木漏れ日に見いだした記録がある。
そこで,目を痛めずに日食を観察する方法として,真っ暗にした部屋にピンホールをとりつけて観察する方法が普及した。
ノートン『自然哲学の基礎』(1870)p.243.
カムストック『自然哲学』(1846)p.229
ホッグ『実験自然哲学の基礎』(1861)p.396
太陽の光を反射した外の景色も,ピンホールを通じて暗い部屋の壁に映り込むが,その像は暗い。そこで,ピンホールの代わりにレンズを用いて,明るい像を得る工夫がなされた。この〈暗い部屋〉を17世紀初めヨハネス・ケプラーは「カメラ・オブスキュラ」と呼んだ。カメラ・オブスキュラとは,まさに「暗い部屋」という意味である。
カメラ・オブスキュラの発明者ははっきりとはしていない。ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ(1538-1615)が『自然魔術』(1558)で詳しく記述したために,発明者とされることが多かったが,現在ではレンズがついたカメラ・オブスキュラの発明者はジェロラモ・カルダーノ(1501-1576)の可能性が高いと考えられている。
キルヒャー『光と影の大いなる術』(1646)
ゴドウィン,川島昭夫訳『キルヒャーの世界図鑑』(工作社)p.212
ほとんどキルヒャーの図からの引き写しである
カメラ・オブスキュラは絵画の道具としても用いられ,フェルメールの作品の多くはカメラオブスキュラを用いて描かれたという。
カメラ・ルシダは,カメラオブスキュラとは違い,プリズムを用いて片目で対象物を,もう一方の目で紙を見て二つの像を重ね合わせて描く装置で,1804年にウォラストンによって発明されたとされている[ref]永平幸雄・河合葉子編著『近代日本と物理実験機器 京都大学所蔵明治・大正期物理実験機器』(京都大学学術出版会2001)p.183[/ref][ref]ハモンド著,川島昭夫訳 『カメラ・オブスクラ年代記』(原著1981,訳2000朝日新聞社)p.188[/ref][ref]ステッドマン著,鈴木光太郎訳『フェルメールのカメラ』(原著2001,訳2010新曜社)p.396[/ref]。
携帯用カメラオブスキュラを記したアタナシウス・キルヒャー(1601-1680)は,最初の幻灯機を作成した人物としても知られる[ref]前掲ハモンド p.42[/ref]。
カメラ・オブスキュラを詳しく記したポルタ,幻灯機を発明したキルヒャーらの著書は,神の愛あるいは女性の美まで含む森羅万象を論じたものだった[ref]G・デッラ・ポルタ著澤井繁男訳『自然魔術』(原著1558,青土社1990)[/ref][ref]ゴドウィン著,川島昭夫訳『キルヒャーの世界図鑑』(原著1979,工作社1986)[/ref]。
それに対してガリレオにはじまりボイルたちが受け継いだ近代科学は,たとえば落下運動という個別的な事象について仮説実験で確かめることのみを扱った。その意味で,ポルタやキルヒャーは,近代科学以前の人物だったと言える。

デシャネル『自然哲学』(1876)p.941
なお,NPO法人楽知ん研究所の阿久津浩は,テント型カメラオブスキュラを現代に復元・作成している。
(ひとまず,これで終わり)