2-4 楽しみごととしての科学教育

ボイルは資産家の貴族であり,ゲーリケは市長職などの公務で収入を得ていた。この時代,科学者という職業はなく,二人とも科学研究は道楽として行っていた。現代的な観点から見るとアマチュア科学者である。アマチュア科学者というと,プロフェッショナル=職業科学者よりも劣っているもの,という印象がある。しかし,アマチュアは「誰にも頼まれないのに,好きでやっている」あるいは,「収入をそこから得るのでは無く,他で得た収入をそれにつぎ込んでいる」という意味では,プロよりも強い動機付けに支えられている。
ゲーリケの『真空空間に関する(いわゆる)マグデブルグの新実験』(1672)[ref]邦訳は松野修訳,楽知ん研究所2009[/ref]には,ゲーリケの空気ポンプ作成と実験の様子が書かれているが,はじめ木の樽から水を抜いて失敗する様子から始まって,銅球での実験の失敗など,空気ポンプ作成の苦労が生き生きと書かれている。また,彼がこの真空実験をはじめた動機が,「宇宙空間が本当に真空かどうかを確かめたかったからだ」ということが書かれている[ref] 前掲松野(2009)の松野による解説pp.105-106.[/ref]。彼が強い動機に支えられ,粘り強く研究を重ねた様子がよくわかる。
また,ボイルの『空気ばね論』(1660)[ref]松野修訳,未刊行[/ref]には,ボイルの家に彼の空気ポンプの評判を聞きつけた人がひっきりなしに訪れていた様子が書かれている。アマチュア的な興味関心による科学研究は,同じような人々と興味関心を共有することによって支えられている。したがって,必然的に科学教育・啓蒙とともにあることになる。楽しい科学教育のルーツをゲーリケやボイルの研究に見ることが出来る。
2-5 科学実験講座の誕生

1700年代に入ると,自宅や街中のコーヒーハウスで有料の科学実験講座をする人々があらわれる。その先駆者が,デザギュリエ(1683-1744)である。デザギュリエはさまざまなテーマで実験を行ったが,その中でも人気が高かったのが,空気ポンプを使った実験である。そのデザギュリエの助手だったブリームによる『真空ポンプの解説書』(1717)には様々な実験が紹介されている[ref]宮地祐司『もっと〈しゅぽしゅぽ〉問題実験集』(楽知ん研究所2010)[/ref]。
デザギュリエやブリームが使用した真空ポンプはボイルの真空ポンプをさらに改良したもので,シリンダーを2本にして効率を上げたものである。シリンダーを2本にする改良は永平によればドニ・パパン(1647-1721)によって行われた[ref]永平幸雄・河合葉子編著『近代日本と物理実験機器 京都大学所蔵明治・大正期物理実験機器』(京都大学学術出版会2001),p97.[/ref]。また永田によれば,フランシス・ホークスビー(1666頃-1763)が空気ポンプを改良し,そのポンプを使用した有料の科学講座を実施したり,王認学会の実験主任として会員に見せたりした[ref]永田英治『たのしい講座を開いた科学者たち』(星の環会2004)pp.54-56.[/ref]。
科学が学校教育に取り入れられる以前,楽しみごととしての科学教育が行われていたのである。ブリームの実験書を元に,空気ポンプの公開講座の実験を現代に復刻する試みが宮地らによっておこなわれている[ref]前掲宮地2010[/ref]。
2-6 たのしい科学講座の日本での復活

ゲーリケの空気ポンプ,ボイルの空気ポンプは松野修の研究を基に吉川辰治(キテレツ工房)が復元している。この空気ポンプをもとにした,ゲーリケやボイルの実験の再現実験や,ブリームの実験書の復元を通じて,1700年代の「たのしみごととしての科学教育」の再現の試みがNPO法人楽知ん研究所によって行われている。
2-7 20世紀初頭までの科学入門書に掲載されている空気ポンプ
その後,20世紀初頭まで,科学入門書に掲載されている空気ポンプの形状はホークスビーらが改良したものからほとんど変化がない(下図参照)。19世紀中頃になると,低圧気体中の放電実験のための要請の基に急速に発展した真空技術に基づく水銀ポンプが開発される。これらの「新型の」空気ポンプとそれにともなう実験機器は,京大に残された旧制三高由来の実験機器コレクションに収められている[ref]前掲 永平他2001,pp.96-112.[/ref][ref]『科学開講!京大コレクションに見る教育事始』(LIXIL出版2015),pp.4-9.[/ref]。


『物理学の基礎 第18版』(1913)