科学実験機器のルーツ【2】真空ポンプと真空実験(1)

2-1 トリチェリによる真空の発見

マグデブルグの半球実験
マグデブルグの半球実験

 ガリレオの研究は原子論的世界観に基づくものであり,真空の存在を前提としていた。その点で反原子論の立場をとるアリストテレスやスコラ学者たちと厳しく対立する立場であった。実際に真空を地上に作り出すことに成功したのはガリレオの弟子トリチェリ(1608-1647)で,ガリレオ没後1年後のことだった(1643年)。

 トリチェリは,水銀を満たしたガラス管を倒立させると,水銀が自らの重みで下がり,ガラス管上部に真空を作り出すことを示した[ref]板倉聖宣『科学者伝記小事典』(仮説社2000)p.32[/ref]。このトリチェリの実験に触発されたフランスのパスカル(1623-1662)は,トリチェリの実験を繰り返し行い,高地で水銀の高さが減少することなどを発見した[ref]前掲板倉(2000)p.49[/ref]。

2-2 ゲーリケとマグデブルグの半球

 トリチェリの真空実験の成功に触発されて,世界で初めて真空ポンプ(空気ポンプ)を作ったのが,ドイツのゲーリケ(1602-1686)だった。

ゲーリケが最初に作ったとされるポンプ
ゲーリケが最初に作ったとされるポンプ

 ゲーリケはドイツの自由都市マグデブルグの名門の家に生まれ,市長など市の要職を勤めた。

 彼は,自ら作成したポンプを使った実験を30年戦争の財政処理のために行われたレーゲンスブルグの会議(1654)で披露したり,市長室に設置して来訪者に見せるなど,科学研究の楽しさを人々と常に共有しようとしていた。彼の研究もまた,科学教育・啓蒙とともにあったのである。

 ゲーリケの行った実験でもっとも有名なのは,大きな2つの半球をはりあわせて空気を抜いて,両側から何頭もの馬で引きはがすという実験である(マグデブルグの半球実験)。この実験は,先に挙げたレーゲンスブルグの会議で行われたとされることが多いが,実際には1657年までにマグデブルグでおこなわれた[ref]ゲーリケ著・松野修訳『真空空間に関する(いわゆる)マグデブルクの新実験』(原著1672,楽知ん研究所2009)所収 松野による解説p.114[/ref]。

2-3 ボイルの空気ポンプ

ボイルの最終版空気ポンプ
ボイルの最終版空気ポンプ

 ゲーリケの空気ポンプの評判を聞きつけてさらに改良したポンプを作成したのが,英国のロバート・ボイルであった。ボイルはフックの協力を得て改良版の空気ポンプを作成し,様々な実験を行った。ゲーリケが行った実験は,「空気を抜いた容器を力任せに引っぱる」という実験が主だったのに対して,ボイルは,真空にしたガラス容器の中に様々なものを入れて試した。ゲーリケもこのボイルの影響を受けて,後に「おもちゃの〈ガラガラ〉や,鳥や魚いろいろなものを入れ」て実験したことが報告されている[ref]前掲 松野による解説(2009)p.122[/ref]。